徒然なるままに

早さかな 不如帰なりけり わがのあけ

夏の函館山

丸山先生がおっしゃった通り、函館山の周りに歴史が集まっている。きょう、丸山先生がくださった「函館ピーズマープ」を拝見しており、東京からここに週末を過ごしている彼女と一緒に函館山の周りの史跡を訪れた。先日がさしぶりの快晴の夜に、函館山の登山バスで世の中に有名な函館山夜景を見に行った。たぶん金曜日の故に、おおかたの旅客が山頂に大勢に集まっていた。ロープウェイを乗るため、1時間ぐらい並んで待ってしまった。とても混んでいた中で、きれいな夜景を見えるようになって嬉しかった。

 

きょうも晴れだ。本日の朝10時、函館朝市に海鮮丼セットを食べたら、函館山の北側の外国人墓地に行った。外国人墓地に導く道の両側には、それぞれの花を咲いていた。夏はさすがあじさいが盛んでいる季節ね。いわゆる「外国人墓地」は、一つ大きい墓地ではなく、実は国ごとにまたは宗教ことに埋蔵された外国人の数個な独立した墓地の全体と呼ばれた名だった。つまり、中国人墓地、ロシアとキリスト教正教会、プロスタント教徒、徳川の役人、それぞれの外国人がこの函館山の側に埋蔵された。先日の山頂の混んでいた現象なの対して、ここはとても静かだった。ただ山と海と木と花が囲まれた墓地にすぎなかった。

 

午後、函館山の南側の立待岬に行った。そこに導く道の両側もそれぞれの墓地が並んでいたが、これは日本人の墓地だった。函館山もう外国を防ぐための要塞ではないが、外国と日本の境界がここにはっきり見えた。同じことがもう一つ気がついた。函館戦争によって、新政府軍の戦死者の墓地が函館山ロープウェイ駅の近くの護国神社に置かれているが、その同じ戦争に戦死した幕府軍の墓地は山の南側の碧血碑にある。函館山の周りに確かに自分が歴史を感じさせられた。そして、俳句一首を吟ずた。

 

歴史の波

山下の側

尋ねきた

 

(昨日書いたブログを投稿するのを忘れてしまった。。。)