徒然なるままに

早さかな 不如帰なりけり わがのあけ

夏の読書ノート(一)

この夏休み、彼女が東京の理化学研修所に研究しているゆえに、函館に来た前二週間私は東京に過ごした。函館と東京を比較すると、東京のほうかまったく人口が多い都市なので、生活がもっと便利し、若者に対する魅力は明らかる。だが、東京という都市の形成は何百年前のことですが、東京の前身「江戸」は十八世紀もう世界に人口が一番多い都市になった。東京の魅力がみんなはっきり分かるけど、「江戸」という近世都市が若者に対する魅力は何と言うか?

 

江戸の衛生は、ロンドンやパリよりも確かに優れていたが、近世の日本の都市は火災に悩まされていた。近世の都市の中で、どちらもあまり理想的な住居ではなかったようで、どちらの人口も着実に増えていた。近世の都市はいわゆる「蟻地獄」という存在であった。出生率が低くて、伝染病や火災による死亡率が高かったので、都市の人口が増加するように人々は近世の都市に移住し続けなければならなかった。したがって、当時の人々にとって、都市のほうが優れた住所にとして存在していたと間違いないと思われる。近代都市がきっと楽園ではなかったにしても、近代の農村や奥地はもっと生存しにくい環境だったのだろう。ロンドンも江戸も、当時の人とって、「都市」という存在だった。彼らは、たいてい「都市の価値」によって惹き付けられ、「都市」へ移住した。

 

現代社会にとって、都市はエネルギーの利用で非常に効率的なコミュニティである。しかし、人々は大抵一戸建てに住んでいた近世で、そんな利点があまりなかった。でも、近代都市の魅力がそれに限りになかった。農耕のための土地が不足している場合、ほとんどの人は近くの都市へ仕事を探しに行った。死活的な問題に限りにはなく、他の理由で江戸に移った人々も多くいた。都市の文化に誘惑されて、自分の両親から逃げて、自力で男性の子供を産むことができなかった世帯主に収養されて、都市に住んでいた親戚や友人を訪れて、参勤交代で大名によって江戸に連れてきて、そういう風に江戸に移住してしまった人々もいた。驚くほど現代人を持って似た理由だった。