夏の読書(二)
夏の読書(二)
箱館は、いわゆる江戸時代の「鎖国」から「最初の開港」と言われた。神奈川条約によって、函館は最初の「自由通商」の港と言えるのに、江戸時代の日本が「鎖国」ではなかった。
日本いがいには、徳川将軍のいわゆる「鎖国令」以降ペリー黒船事件までの日本を「鎖国」という言葉で描く人が多いかもしれなかった。けれど、その有名な「鎖国」という表現は正確とは言えない。それというのは、1630年以降黒船事件まで、徳川幕府はいつでも朝鮮と琉球政府の通信を断らず、東南アジアと中国との通商も続けていた。むろん、16世紀と比べて日本人の通商活動が減少したのは事実ですが、「鎖をかける国」、つまり、「鎖国」とはほとんど言えなかった。
実は、「鎖国」という言葉は日本語の中に1801年に始めて現れた。「鎖国」という言葉は志筑忠雄がオランダ語の「日本誌」から翻訳したものだった。さらに、そのオランダ語の「日本誌」も、英語に翻訳された、17世紀のエンゲルベルト・ケンペルのラテン語の論文からの翻訳だった。「鎖国」という造語は、明治時代までに盛んに使われるようになってしまった。